千葉県発二日酔いまでの後悔街道の2

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我孫子の夏は暑かった7正泉寺

 湖北台の正泉寺(しょうせんじ)です。こんなブログをやっていて、神社寺は人より多く見ていると思います。このお寺何か今までのと違います。我孫子では立派な部類の寺ってだけでは無いのはすぐに気がつきました。

省略してますが、石造とかが普通のお寺ではあまりない形式だと思いました。ただし、この注意書きはたまに見ます。くんしゅさんもんにいるをゆるさず、と読みます。その葷酒(くんしゅ)とは臭気の強いネギニラなどの野菜と酒です。修行の妨げになるから酒や葱などは持ち込んではいけませんって事です。

山門は立派なもので、二階に鐘があります。

本堂です。

さて、何かいつも見る寺とは様子が違うと決定的に思ったのはこの銅像です。

正直に言うとちょっと薄気味悪く感じました。なので寺の内容などが書いてある看板を写真に撮っておいて、後で調べることにしました。

寺にあった看板から。
千葉県指定文化財
正泉寺の血盆経信仰資料。
血盆経は、血の穢れによって地獄に落ちた女人の救済を説いたものです。室町時代中期までに、中国から日本に伝えられ、江戸時代には仏教のいくつかの宗派らわたり、女性布教の一環として用いられるようになりました。
曹洞宗の正泉寺は血盆経の信仰の重要な拠点で、日本最初女人成仏血盆経出現第一道場として知られています。鎌倉時代の弘長三年、北条時頼の息女の法性尼により、法性寺という寺号をもって創められたと伝えられています。(一部省略)

いやはや大変な宗派です。血盆経とは女性は血で穢れていて、血の海地獄に堕ちる。この運命から逃れるためには、血盆斎を営んで血盆経を写経しなければならない。と言う事なんだそうです。

この正泉寺は様々な女性の信仰を集め寺に参る女性は血盆経の授与に預かることで、成仏の願いがかなえられると信じられてきたのです。江戸時代後期には同寺に対する金品の寄進者は名古屋、京都、大阪にまで及びました。(看板から)

そう言えばこの像の足元には発起人大阪四天王寺(その下読めず)と書いてあって、なんでなんだろうと思いましたが、信仰している(いた)人が大阪にもいて、お金を出したって事ですね。

しかし、戦後は女性を差別するものとして曹洞宗で禁止にしたそうです。
そして近年になると女性史との関連において、資料の重要性が見直されているそうです。
血盆信仰資料のいくつかは千葉県指定文化財有形民族文化財として指定されているそうです。


こう言った難しいものを触れるのには酔っている場合じゃないので、まだ飲んでません。かつての日本にはこのような考えがあって、女性もそれを信じていた人たちもいたのですね。現代日本とは違う世界もあったようです。


周りは団地とか住宅街で分かりずらい場所ですけど、お寺は記憶に残るものでした。
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525 [ 2010/09/11 23:42 ] 我孫子 | TB(0) | コメント(0)
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